ダ・ヴィンチWeb:2022年10月30日掲載
自己肯定感が低い、「すみません」が口癖になっている…それは幼少期の「癒されない感情」が原因かも?/親子の法則
知らず知らずのうちに「自分の限界」を決めてしまうことはありませんか? 自己肯定感が低い、欠落感を抱えている、主体性を持てない…それはもしかしたら、親からの刷り込みによる「親ブロック」があなたを縛っているからかも?
三凛さとし著の『親子の法則 人生の悩みが消える「親捨て」のススメ』は、親との関係がうまくいかない人、親からの抑圧に苦しんできた人に、親に対する偏見を取り除き、親を客観視できるようになる「親捨て」ワークを提案します。親子関係を見直すことで本来の自分を取り戻し、自由に生きるためのヒントを与えてくれる1冊です。
「すみません」が口癖になっている人は、子どものころ、常に親の顔色をうかがっていたのかも?
※本作品は三凛さとし著の書籍『親子の法則 人生の悩みが消える「親捨て」のススメ』から一部抜粋・編集しました
「癒されない感情」は、さまざまな形で人生に影を落とします。
まだ世間知がなく人生経験も積んでいない子どもにとって、親の言動は絶対的な重さを持ち、その後の自己自認や人格形成に影響を与えていきます。
意味のない取り越し苦労をしたり、本来であれば順調に進むはずのものに引っかかりを生じたりといったことですが、具体的には次のようなことが起こってきます。
●自己肯定感が持てない
●「すみません」が口癖になっている
●満たされない感じがする
●自分に制限をかけてしまう
●自由になることに罪悪感がある
●お金を計画的に使えない
●仕事に対して積極的になれない
●メンタル面のアップダウンが激しい
●ルーズで自己管理がうまくできない
●恋愛運が悪い
●他人の言動に左右されてしまう
では、それぞれについてご説明していきましょう。
近年、「自己肯定感」という言葉がよく聞かれるようになりました。それだけ自分を肯定することができずに悩んでいる人が多いのでしょう。
自己肯定感が低いと、小さいことから大きなことまでありとあらゆる失敗について、「私に力がないからこうなった」「失敗したのは全部、私の責任だ」と必要以上に自分を責めることになりかねません。
そもそも、人生で成功ばかりが続くということはあり得ません。成功の陰に失敗あり。失敗するから成功がもたらされるのです。
しかし、自己肯定感が低い人はそういう考え方をすることができず、「ああ、また失敗した。自分はなんてダメな人間なんだろう」と限りなく負のスパイラルに入ってしまいます。
口癖は「どうせ私なんて」。私なんて何をやってもダメ、私のことなんて誰も愛してくれない、私なんて生きる価値がない……。
心理的に深く原因を探っていくと、幼少期に親が不用意に発した「そんなだからダメなんだ」というようなマイナスの言葉や、親に慰めてほしかったのにつれなくされたというマイナスの態度に端を発していることがほとんどです。
幼少期の無垢な心で、親の言動をありのままに受け止めてしまい、ことあるごとに「自分はダメ」の上書きをしていってしまうのです。
「お尋ねしたいのですが」「今、お時間よろしいですか?」と言えば通じるのに、わざわざ「すみません」と謝罪を意味する言葉を冒頭に持ってきてしまう人がいます。
おそらく本人は他意なく発しているのでしょうが、こういう人に会うたびに私は「親御さんに否定されて育ったのかな?」と感じてしまいます。
親が子どもに対してあれこれ口出しする人だったり、短期で気性が激しく子供にあたる人だったりした場合、子どもは常に親の顔色をうかがうようになります。
その習慣が、他社に話しかけるときの「すみません」という言葉に反映されているのではないでしょうか。また、日本人特有の「最初に謝っておけば、めんどうなことにならない」という考え方の影響もあるでしょう。
私がこのように感じるのは、海外に出ていた期間が長く、他国の人たちと日本の人たちの両方に接してきたという成育歴が影響しているのかもしれません。外から見ると、日本人とそれ以外の国の人たちの違いを強く感じてしまうのです。
日本以外の国の人たちは、まず謝りません。明らかに自分に非があるときでも謝らないので、ましてエクスキューズのために「すみません」に相当する言葉を自ら率先して口にすることなど皆無だからです。
客観的に自分を振り返ったときに、むしろ恵まれていると思える環境だったにもかかわらず、心のどこかに穴が開いているような空虚な感覚があったり、欠落感を覚えたりしていませんか?
他人に言わせればぜいたくな悩みかもしれませんが、人に理解されないだけに本人にとっては苦しいものです。
実は私自身もこのタイプでした。
第三者的に見ると、特に問題がない。でも本人は決して満足していない。他人が思うほど自分の人生がいいものだとは思っていないし、他人が下す評価に自分の心がおいついていかない感じが常につきまとっていました。
今になるとよくわかるのですが、その原因は親が私に期待する「こういう人生を送ってほしい」を察知し、そのとおりに生きてしまったことにあるのだと思います。
親の期待する生き方を受け入れ、親の言うとおりにしたものの、それは親の望む人生であって、自分の望む人生とは異なっていた……そんな感じです。
自分の本心とはかけ離れた人生になっているから苦しくなるし、満足感も得られなかったでしょう。
親の思惑を優先させた結果、自分の心が置き去りになっているからこそ、はたから見ると何の問題もない人生でも、本人にとっては中身がスカスカしてからっぽな、満たされない人生と感じられてしまうのです。
誰に反対されたわけでもないのに、やりたいことがやれない人はいませんか?
「世界一周の旅に出てみたいけど、本当にそんなことをしていいのか悩んでしまう」「コーチングやカウンセリングを勉強してみたいけど、なんだかためらってしまう」
そんなふうに自分に制限をかけることの裏には、「親に賛成されないのではないか」という思いがあります。親から刷り込まれた安定志向の影響です。
2000年以前に生まれた人たちの親世代は、まだ日本が経済大国だったイメージを強く持っている世代といえます。
今では世界でも有数の少子高齢社会になり、国の基幹産業である製造業が衰退したうえ、IT化の波に乗り遅れるなど、国力が失われた日本に生きている私たちにとっては、なかなかイメージしづらいものがあります。
しかし、親の意識はそのころでとどまっているのではないでしょうか。
だからこそ、いつまでも子どもに対しては「就職するなら大企業」「1つのところに長く勤めたほうがいい」「おとなしくしていれば、なんとかなるんだから」と、自分にとっての常識(=時代遅れの常識)を押しつけてしまうのでしょう。
その根底にあるのは親心です。親は子どもに苦労してほしくないと思っています。
それゆえに親は子どもに、就職に有利になるよう高学歴を望み、大きな会社に入ることを望みます。はっきりとそう口に出す親も大勢います。
親の安定志向を「今の時代に何を言っているんだろう?」と頭では思っても、子どものころから折にふれて感じ取った親の「安定第一」の価値観は、子どもの心に深く入り込んでいます。真の意味でそこから抜け出すのは、容易ではありません。
だから何かしようと思ったとき、「本当にこんなことをしていいのだろうか?」と制限が生まれてしまうのです。
<第4回に続く>
※Yahoo!ニュース、マイナビ子育て等、多数のニュースサイトに掲載されました。