メイマスク氏インタビュー:2021年8月

世界一の起業家で知られる実業家イーロンマスクを育てた母親のメイマスクさんと
「親子関係」について対談しました。
【世界一の富豪 イーロン・マスクの母に聞く「子どもを成功させる秘訣とは?」】


PayPalの創業者であり、現テスラ社の世界的な実業家であるイーロンマスク氏の母でスーパーモデルのメイマスク氏の日本初講演(2021年8月)において、三凛さとしが子育てについてのインタビュアーをつとめました。メイマスクさんは近年、モデルとして、またビジネスアイコンとして世界中で注目を浴び、著書のA Woman Makes a Planは各国の言語に翻訳され、ベストセラーとなっています。
ぜひ、超一流の子育ての秘密をお読みください。

青=三凛さとし
黒=メイマスク

少し簡単に自己紹介させて頂きます。私、三凛さとしと申します。ライフコーチとして過去5年間で延べ六万人以上の日本人の方々にオンラインコーチングプログラムを提供してきまして、人生が好転するお手伝いをしてきました。その活動の中で、親子関係を改善することで人生が良い意味ですごく変わるという法則を発見しまして、この親子関係と人生の法則についての書籍も来年出版予定です。その立場から、今回はあのイーロン・マスクさんやキンバル・マスクさん、そしてトスカ・マスクさんも育て上げたメイさんが、どんな子育て論をお持ちなのか、親としてどんな哲学をお持ちなのか、とても興味を持っています。今日はいくつか教育について、子育てについて、皆さんを代表して質問させて頂いて、皆さんと学びを深めたいと思います。よろしくお願いします。

こんにちは。メイ・マスクです。ニューヨークからお話ししています。栄養士、教師、起業家として活動しています。今日は皆さんとお話しできることを楽しみにしています。

ありがとうございます。メイさんの経歴の中で特に私が注目したのが、モデルとしてすごく活躍されながら、3人の優秀な子供を女手一つで育てたという点があります。家族と教育とか、仕事、キャリアといった異なる物事のバランスの取り方のコツはあるのかなと思いまして、この辺りの両立が難しいと感じている方が昨今ではすごく多いと思いますので、何かこれについてヒントをいただければ嬉しいです。

そうですね、栄養士として働きながら1日に25人のクライアントをカウンセリングしていたということもあり、きちんと計画的にやりくりできる方でした。自宅で仕事をしていたので、朝は子供たちを学校に送ることから始まり、クライアントと会い、その後近所の子供たちも学校へ送って、といった生活でした。代わりに午後は近所の家族が子供たちの送迎をしてくれていました。子供たちは帰ってくると宿題をしていましたが、多分時々こっそり抜け出しては海へ行ったり外を探検したりしていたと思います。私は一日中クライアントの対応をしていたため、そんなことには全く気づいていませんでしたが。夕方しか子供たちと顔を合わせられないくらい忙しかったので、宿題を手伝う時間もなく、自分たちでさせていました。なので子供たちは自然に自分ことは自分でするようになり、成長するにつれ自分たちで徒歩や自転車で学校に通うようにもなりました。私の両親も似たような環境で子育てをしていました。兄弟二人、姉妹が二人いましたが、両親は共に夕方6時まで仕事をしていたため、子供の私たちは自立することに慣れていましたね。宿題を両親に見てもらうこともありませんでした。

子供達に責任をある程度持たせるというモットーだった訳ですね。

はい、そうです。

なるほど、ありがとうございます。僕はメイさんの書籍 A Woman Makes A Plan を読ませていただいたんですけれども、色々なことが書いてある中で個人的にすごく大切だなと思ったのが、最初から一から人生をやり直す、スタートオーバーすることを恐れないということだったんですね。築き上げてきたものがあったとしても、一からまた立ち上がって新しい物事をスタートさせるとか、新しい人生のショーを始めるという事ですね。これは実は多くの方にとっては勇気が必要なことなんじゃないかなと思うんですけど、時に人生を再び盛り返すにはそうやって立ち直ったり、再度立ち上がるためのモチベーションが必要だと思うんですけど、メイさんにとってモチベーションは一体どういったものだったのでしょうか?再び立ち上がる時のコツなどがあれば教えて頂ければなと思います。

まず最初にお話ししたいのは、全てを最初からやり直すというのは決してお勧めはしない、ということです。一からやり直すというのは先が見えず不安がつきまとうものですから。でも悪い現状から抜け出すためなら、全てをやり直し苦労をすることも必要です。より良い機会を掴むために、またより良い自分自身を作るためには、新たな土地で再スタートすることも必要となります。私は離婚を機に小さな街へ引っ越したのですが、そこで栄養士として働き始め、また31歳で思いもよらずモデルとしての仕事にも声がかかりました。

自分の寝室をオフィスとして自宅で仕事をしていました。ほとんど字も書けない娘が電話に出たりもしていました。その後、大学がある小さな街へ引っ越し、食生活カウンセリングについて学びました。
心臓病、糖尿病、癌、骨粗鬆症、関節炎など、栄養が深く関連する疾患に適した栄養摂取の仕方を学びたかったのです。

こうして1年間大学病院で過ごしたのですが、当時は子供たちは寝室で、私自身はリビングで寝る、そんな暮らしでした。大学病院内にある医療従事者用宿舎に住んでいたんです。こうして1年間暮らしました。子供たちは今でも「食堂のハンバーガーがベチャッとしてた」と思い出しては笑っています。

こうしてどんな栄養疾患についてもカウンセリングを行うことに自信を持つことができました。そんな中、栄養学の奨学金を募る活動をしたいと思い始め、小さな街にモデルがいる訳でもなかったこともあり、自分の経験を生かして学生たちを対象にモデル育成のレッスンを始めました。そしたら学生に限らず、ありとあらゆる人たちが集まって来たんです。興味を持ってくれた80歳の女性まで来ていましたね。そしてある癌協会にファッションショーの開催を依頼され、自分のモデルたちと一緒にショーを開催しました。それをきっかけに癌協会から仕事の誘いを受け、癌患者のために従事する機会を持ちました。主に人工肛門造設をした大腸癌患者の方達です。

その仕事に携わることで、理学修士の学位を取得したいという気持ちが芽生え、結果、大学病院にとどまりました。いくつも試験を受け、論文も書きました。最終的には100人の人工肛門造設患者の調査を行い、理学修士を取得しました。同時に大学病院の宿舎を退去して一軒家に引っ越し、栄養士として活動するようになりました。そんな時にヨハネスブルグのモデル事務所から仕事の誘いが迷い込んで来たんです。当時私は30代半ば、普通ならモデルとしては年齢が高すぎる年代ですね。でもテレビCMのモデルとして中年女性モデルが必要とされていて、どうしても来て欲しいとお願いされたのです。こうしてヨハネスブルグに引っ越すことになり、また一から始めることになりました。

一から始めるということは物事がなかなか進まず大変です。一軒家を借りましたが問題も起きました。オフィスとして使える寝室がなかったため、ダイニングのテーブルをデスクとして使っていました。幸い独立して働ける職種だったので仕事は続けることができましたが、ヨハネスブルグでは賃貸暮らしだっため、何回か引っ越しを繰り返しました。そんな時、子供たちがカナダへ引っ越したいと言い始めたのです。私がカナダ国籍のため、子供たちもカナダ国籍を取得できるからです。

カナダなんて大きな引っ越しです。特に自分の職業を長年かけて築き上げた後なら尚のことです。でも子供たちが行くと言うなら行くしかありませんでした。当時娘は15歳、イーロンはすでにカナダの親戚の元で暮らしており、娘は「イーロンが面倒見てくれるわよ」なんて私に言ってたんです。よく言いますよね。当時イーロンは18歳になるかならないかくらいの若さですよ。私はカナダでモデル事務所や大学を見てまわり、博士号課程のプログラムを探しました。受け入れてくれる大学が見つかった後、一度南アフリカに戻ると、なんと娘のトスカが家も車も家具も、全部売り払ってしまっていたんです。それではもう住む場所もなく、選択肢がない状態です。

こうしてカナダへ引っ越しました。繰り返しますが、引っ越しは大変です。特に国を跨いでの引っ越しは尚のことです。また最初から試験を受け直し、再度栄養士としての資格を取る必要がありました。幸いこの時は英語だったので助かりましたが。その前はアフリカーンス語でしたからね。新しい言語を習得し、さらに新しいことを学ぶというのは大変です。お伝えしたいことは、私はそういった様々な決断を、楽しいからとか、かっこいいからという理由でしていた訳ではないということです。そうすることこそ良い方向転換をする術だったからこそ決断したのです。ですので、何か得るものがあるのでなければ、引っ越しをして拠点を移すことはお勧めしません。私はトロント大学で研究員として採用されたからこそ引っ越す決断をしました。こうして博士課程を始めることとなり、論文も書きました。
しかし最終的には理学修士の学位しか取得できないことを知らされました。その時は本当に落胆しましたね。想像してみてください。博士号取得のために3人の子供を連れて国を跨いで引っ越したのですから。博士号が取得できないとの説明は全くなく、最後の最後で修士号しか取得できないと突然伝えられたのです。博士号を取得するためには研究員として在籍し、研究を続ける必要があると伝えられました。でも私は自分の事業を持ち、カウンセリングをしている身だったため、研究員として在籍し続けることはできませんでした。

こうしてカナダとアメリカの各地を回って起業関連の講演を行うようになりました。ウェルネスの分野では、事業の立ち上げのノウハウを持ってる専門家は少なく、そういった講演をすることで生活を立てるようになりました。こうして、得るものがあったからこそ私は引っ越しを繰り返しました。ただ、だからと言って楽な生活だった訳ではありません。映画を見に行くことは控え、外食も控え、食費を抑え、家賃が手頃なアパートを選ぶ、そんな生活です。それでも引っ越すことにはそれなりの価値がありました。

大きな苦労もしましたよ。それで自分が強くなったのか、愚かになったのかは分からないですが。常に努力し続ける必要がありました。最初の年は孤独で、それでも働き続けなければなりませんでした。
そんな時に子供たちがアメリカに移り、私に引っ越してくるように言ってきたのです。当然、また栄養士の資格を取るために試験を受け直すことは嫌でした。でも結局はまた試験を受けましたが。アメリカではメートル法ではなくヤード・ポンド法なので、また新たに学ぶことが増えました。それでもなんとか栄養士の資格を取得しました。そしてモデル事務所の支援もあったことから、私は子供たちからの誘いを受ける形でアメリカに引っ越しました。

こうして理由があったからこそ再度引っ越しをしました。サンフランシスコに住んでいる時、起業関連の講演でニューヨークを訪れたのですが、その時にここが自分に合っている街だと感じました。そのことを子供たちに話すと、当時彼らは自分たちの事業を売却したばかりだったこともあり、「ニューヨークで家と車を買ったら?」なんて私に話してきました。当時私は半地下で日当たりの悪い小さなアパートに住んでいたこともあり、ニューヨークへ引っ越すことを決めました。こうしてニューヨークへ来た訳ですが、その後もまた栄養士としての職を築き上げるには時間がかかりました。

そしてまたしてもモデルの仕事で誘いの声がかかりました。当時すでに私は50歳でしたが、50代のモデルが必要だったのです。とても驚きましたね。ニューヨークへ引っ越し、これからここで落ち着くのだ、と思ってた時でしたから。当時ロサンゼルスにいた娘が双子を産んだこともあり、私はロサンゼルスへ移り、そこで8年過ごしました。その後娘はジョージア州へ引っ越し、私はニューヨークへ戻り、今に至っています。ここに戻ってきたことをとても嬉しく思っています。拠点を移すなら、生活を改善するため、または悪い環境から抜け出すためにするべきと思います。それ以外の理由で引っ越すことはお勧めしません。先ほどもお話しした事ですが、勇敢だから引っ越すのか、どうして引っ越すのか、と自問することもありました。私にとって一つ一つの引越しは良い結果をもたらしてくれましたが、それでもその成果が感じられるまでは1、2年かかるものです。

恐らく、また一から違う場所でスタートオーバーされるということは、メイさんの場合はご家族を大切に思う気持ちがあったのではないかなと思って聞いていました。ありがとうございます。人生全般についての質問になるんですけれども、先ほどもメイさんには人生であった色々なことをシェアしていただいたんですが、ご説明いただいた通り人生は楽しいことやいいことだけではないと思うんですね。辛いこと、難しいこと、悪いことも起こると思うんですよ。でもそうゆう浮き沈みの影響をなるべく受けることなく自分で突き進んでいくために、人生と仕事に対するモチベーションをどう維持されていますか?どういったところがモチベーションで、そのモチベーションがあるとしたらどうキープされていますか?

そうですね、私は専ら生活のために働いたという感じです。子供たちを食べさせ、屋根の下で暮らせるため、ですね。このように最初は本当に生活のためでした。ただ金銭的に余裕が出てくるに連れ、素敵なディナーを楽しんだりするようにもなりました。そういえば私が一番最初に子供たちをディナーに招待したのは、彼らの最初の事業に融資が下りた時でした。

私の著書にも書いたことですが、その時、子供達にこう言ったんです。「私のクレジットカードを見るのは今日が最後だからね」と。私が夕飯をおごるのは最後、ということです。でもちょっと笑ってしまうのは、当時私はカナダで発行されたクレジットカードしか持っていなかったのですが、子供たちはというと、自身のカードを申請できるほどの信用情報をまだ持っていなかったので、結局私が自分のカードで支払う羽目になっていました。アメリカではクレジットカード取得は難しいですからね。ある程度収入を確保できるようになってからやっと少し贅沢ができるようになるということです。そう考えると、人生で一番大切なものは健康です。健康さえあれば一生懸命働くことができますからね。

ありがとうございます。イーロン・マスクさんを育てられたということで、イーロン・マスクさんがさぞ幼い頃から贅沢されていたんじゃないかと皆さん思われるかもしれないですが、メイさんの本を読まれるとそうではないということが分かるんですね。その本の中でも子育てに対しての哲学について書かれていたことがあると思うんですが、メイさんにとって子育てに対して三つ何か哲学があるとしたらどういったものでしょうか?これをシェアしていただけますか?

三つの大切なことと言えば、一つ目は礼儀作法、二つ目は人に思いやりを持つこと。そして三つ目は、私自身が手本になって見せたことです。以前私は長時間労働をし、また現在は子供たち自身が長時間労働をしている立場にいる訳ですが、その中でも自分の好きなことをする、ということです。私自身は栄養士として働くこと、それから70代になった今でもモデルとして働くことが大好きです。この歳でスーパーモデルだなんて笑っちゃいますよね。73歳ですよ。でも世界中を飛び回り、素晴らしいお仕事をさせてもらっています。まだ内容まではシェアできないですが、もうすぐ日本の雑紙のお仕事もする予定です。

娘のトスカはいつも映画が大好きで、大学では映画制作について学びました。男性中心の業界で監督やプロデューサーになるまでには苦労もたくさん重ねています。今は自分の会社、パッションフリックスでの仕事を楽しんでいますね。働く時間は本当に長いですが、自分のやり方で映画を制作することをとても楽しんでいます。男性中心の業界で女性としての強さ、知的さ、成功が認められ、女性も男性同様の所得を得るようになり、また監督にもなるのですから素晴らしいと思います。娘のことは本当に誇りに思っています。

キンバルはというと、ビジネスについて学び、卒業後はイーロンと一緒に事業を初めました。でもビジネスは彼が打ち込める分野ではなく、実際は料理に情熱を持っていたんですね。子供の頃は、母親の私が忙しく、また料理が得意な方でもなかったこともあり、キンバルがいつも料理をしていました。それが彼にとってやりたかったことなのです。なのでニューヨークへ来てからは、シェフを目指しフランス料理の専門学校へ行きました。彼も長時間労働をしていましたね。夜11時になるとキンバルが学生たちと一緒に夕飯を食べるのですが、よく私も一緒していました。楽しかったですね。彼は今、自身のレストランを経営しています。彼は子供のころから、どんなに貧しくてもいつも必ず果物と野菜があったこと、それが健康のために一番大切であること、それを覚えていました。それで果物や野菜を食べられないせいで健康的な生活を送れない子供たちのために、学校の敷地内に畑を作る活動を始めました。子供たちに種の植え方を教え、自分たちで果物や野菜の栽培ができるよう教育を始めたのです。アメリカ国内で全部で650の畑を学校の敷地内に作りました。1年半の間その活動を休止することにもなりましたが、今はまた畑を作る活動を再開しています。このように、キンバルも自分自身の情熱に従って生きています。

そしてイーロンはというと、彼は小さい頃から頭の良い子でした。そう言うと親バカと言われてしまいますが、きっとどの母親もみんな一緒ですね。でも本当にそう感じていました。最初の事業がジップ・ツー、その次がペイパル。ペイパルを売却後、私にこう言ってきたんです。「電気自動車か、太陽光発電か、ロケットか、どれがいいかな?」って。「一つ選んだら?」と答えましたが、イーロンが私の言うことを聞くわけありません。すでに皆さんもご存知ですよね。イーロンもたくさん働きました。でもこうして私たち家族は皆それぞれが自分の好きなことをやっています。

なるほど、ありがとうございます。今ちょっとお話を聞いていてすごく意外だったのですが、イーロンさんが、これからどうしようかなという話をメイさんにもされることがあるということなんですかね?

子供たちも私も、今自分たちがやっていることについて共有することはありますが、基本的にはそれぞれが自分の道を行く、という感じですね。

それが一番いいかもしれないですね。次の質問に行きたいんですけれども、今新型コロナ、COVID-19 がすごく流行っていると思います。このコロナ時代というか、コロナが流行る前とアフターコロナでは、何か最適な教育や子育ての方法が変わったりすると思われますか?何かもしアフターコロナ時代にこうゆう教育が流行っていくんじゃないかとか、こういう教育がいいんじゃないかなどがもしあればシェアして頂きたいんですけれども。

親として何が大切か、それをお答えするのは難しいです。私は今は孫がいる立場なので、もう親の立場に立って考える必要はなくなっていますからね。ただ、イー・ラーニングに慣れることは大変だろうと思っています。例えば娘のトスカが二人の子供を連れて遊びに来た際、彼女が忙しく、代わりに私が子供たちの勉強を見るよう頼まれたことがありました。8歳の双子の兄妹です。女の子の方はとにかく宿題が大好きで、自分から率先して宿題をして楽しむ方なのですが、男の子の方はと言うとそれはもう腕白で、宿題をさせるのは困難極まりないことでした。なのでいたずらをして笑わせたり、楽しませる工夫しながら気を引くことで、やっとのことで宿題をさせました。これからはまた少しずつイー・ラーニングから学校での学習に戻っていくと思います。人と接することは子供たちにとって大切ですからね。

ありがとうございます。メイさんのインタビューですとか書籍を読んでいて、今日もお話を聞いていて思ったんですけれども、子育てにおいて、その子たちの好奇心とか興味を伸ばしてあげることがすごく大切だと考えられていると思うんですね。子供達の好奇心とか興味を育むために何か良い方法ってあるんですかね。

私の両親のことを思い出してみると、私自身や兄妹たちの興味を両親が育んだかと言われると全くそうではないですね。何か提案をしてくることは一度もなかったと思います。同じように、私自身もいつも仕事をしていたせいで子供たちの興味を育む時間すらありませんでした。子供たちが何かやりたいことがあれば自由にやらせていましたね。例えば、トスカはダンスが好きだったのでダンスを習わせました。さすがにピアノを習いたいと言い出した時は、ピアノを買うほどのお金はないと伝えましたが。でもどうしても欲しいと言うので、一ヶ月ピアノをレンタルすることにしました。それでちゃんと練習をし、上手に弾けるようになるならレンタルを続けることを約束したんです。早速一ヶ月レンタルしましたが、全然練習することはなく、そのままピアノは返却されましたね。あの時私は彼女の興味を育むことを試みた訳ですが、成功には至りませんでした。でもそれはそれでいいと思います。

私自身についてお話しすると、たくさんスポーツはやっていましたが、得意ではありませんでした。逆に勉強の方が得意でした。科学オタクとでも言いましょうか。私の双子の姉の方は感心するほどスポーツが得意で、練習無しでどんなことでも出来ていましたね。私はたくさん練習してやっと補欠選手、姉はキャプテンという感じでした。逆に姉は勉強が苦手だったので、勉強は沢山しなければなりませんでしたが、私はどの科目にしも一生懸命勉強しなければならないなんてことはまずありませんでした。でもスポーツでは頑張らなければならなかった訳です。自分の不得意分野で努力することは良いことでもありますが、それは大変でもあるので、自分の得意分野に専念することの方が良いと思います。

ありがとうございます。メイさんは今親としてもすごく注目を受けられていると思うんですけれども、もちろんご自身も親でもあり、子供でもあるっていう立場だと思うんですね。メイさんが子供として両親から受けた教育から、最も影響を受けたなって感じるものは何かありますか?

そうですね、これは私の著書にも書いたことですが、子供の頃、家族でカラハリ砂漠で3週間生活したことがあります。人っこ一人いない、出くわすのは動物だけ。そんな環境の中で生き抜くという経験です。そこから学んだことは、殆ど何もない状況でもできることがある、ということです。例えば、水が無いので3週間入浴しませんでした。料理をするためにはまず小枝を集め、火を焚き、そして母が調理をし、こうして3週間ちゃんと生きた訳です。父曰く、5人の子供を連れてビーチリゾートへ行くよりも砂漠で過ごす方が経済的、という事もそうですが、でもこうして私自身も兄妹たちも強くなれたのだと思います。私が両親から学んだことは、限られた環境でもできることがある、ということですね。

ありがとうございます。工夫してその状況を楽しむっていう感じですかね。

そうです。私の兄妹にしても、子供たちにしても、家族と一緒にいる時はいつも楽しく過ごしています。みんなユーモアのある人たちですからね。

なるほど、ありがとうございます。次の質問にどんどん行きたいんですけれども、かなり皆さんが気になられてることなんじゃないかなと思って思い切って聞くんですが、メイさんはご自分の3人の子供達にお金の教育ってされたんでしょうか?もしされたとしたらいつから始めてどのように教えられましたか?

そうですね、運がよかったと思うことは、私の両親はカナダで大不況を経験し、全てを失い所得も無い中、物々交換で食料を農家から譲ってもらい生活をした人たちだったので、両親のおかげでとても質素な人間に育てられたと思います。また母親からは自分で銀行口座を管理することを教えられたので、経済的観念もしっかり持つことが出来ました。そのお陰で、私の以前の夫が事業を始めた際には、会計業務を自分でやりこなしました。質素な生活をすることを学んだお陰でそれを常に実践できていると思います。

ありがとうございます。ちょっとお金の話題が出ましたので、教育する順序みたいなものがもしあるとしたら、例えばお金の事とか、人間性だとか、お仕事に対してだとか、もしくは家族愛だとか、いろんな人生のテーマってあると思うんですけれども、メイさんが一番大切だと思って子供達に伝えたかったことですとか、あともし順序があればそれも教えていただければなと思うんですけれども。

私の子供たちに伝えたかった事として、それを大切な順番で言うと、まずは親切な人間になること、それから他人に思いやりを持てるようになること、そして一生懸命働くことだと思います。

ありがとうございます。メイさんは先ほど健康のこともちょっとお話しされていたのでそれもお聞きしたいんですけれども、特に子育てという観点から見た時に、健康のために最も親がしてあげた方がいいんじゃないかということ、メイさんが最も考慮していることがあれば教えていただければなと思うんですけれども。

私は子供たちが自分の決断に責任を持って行動させるようにしていました。みんなそれを実践できていますね。例えば、私は自分が毎日何をやっているかをわざわざ子供たちに伝えたりしませんし、また子供たちも全く同様で、それでいいと思っています。自分たちの生活があり、それぞれ楽しいことをやって生きている訳ですからね。でも当然良いことも悪いこともある訳ですから、助けが必要な時にはお互い助け合います。でも正直に言うと、私は今は落ち込むようなことは殆ど無いですね。今は人生をとても楽しんでいます。

なるほど、ありがとうございます。子供達の健康の面では、メイさんは子供達が小さい時からずっと気にされていたり意識されていたことなんでしょうか?

そうですね、健康についてはどの親も同じだと思いますが、私も自分の子供たちの健康のことは常に考えていました。子供たちが小さかった頃、娘たちはお人形で遊ぶような子供でしたが、息子たちの方はとにかくやんちゃだっため、屋根から落ちたり、木から落ちたり、自転車で転んだりと大変でした。病院に連れて行って傷を縫ってもらったりもしましたね。親として子供たちの安全に注意を払うことが大切だと思います。今でも私は健康的な食生活を心がけていますから、子供たちにもその大切さのことは話しています。健康が全てですからね。

なるほど、ありがとうございます。健康大切ですね。メイさんに色々な方々からこの質問を多くいただいていたりもするんですけれども、子育ての中でしつけについて、メイさんはどのようにしつけをされてきましたか?しつけとはこういう風にあるべきだというものがあれば教えていただければと思うんですけれども。

子供のしつけの仕方について口を出すようなことはしたくはありませんが、私の子供たちは楽な方だったと思うので感謝しています。私は自宅で仕事をしていたので、例えば子供たちがうるさくするような時は自分の部屋に行くように言っていました。子供たちは外に出て遊びたい訳ですから、部屋にはいたくないですよね。こういったしつけをしていました。

子供が親にとって難しいというか不便なことをしてきた場合、叱るとかそういうことではなくて説明をしてきたということなんですかね?

はい、そうです。私は日中はクライアントの相手をしていたので怒ることすらできなかったと言う方が正しいかもしれませんが。でも子供たちがうるさいせいで仕事ができないようなことがあれば、その時は自室へ行くようにすぐに伝えていました。そうすると子供たちはちゃんと部屋へ行きました。もちろん嫌々です。当時は iPad だの iPhone だの無かったですからね。でも幸い子供たちは読書が好きだったのでそれは良かったと思います。

先ほどからメイさんはその子の興味とか好奇心に沿った教育をしていけば良いとおっしゃっていたと思うんですけれども、何も興味を持てない、何も学ぶつもりがない子供がもしいたとしたら、親はどうゆう風にするべきだと思いますか?

私自身はそのような経験が無いのですが、勉強を嫌がる子供たちは人よりクリエイティブだったり、芸術のセンスに長けているかもしれません。例えばヘアメイクやメイクアーティストとしての素質を持っていたり、絵を書くことが得意だったり。自分なりに興味を持てる分野で才能を発揮できると思うので、その才能を伸ばしてあげることが大切だと思います。みんながみんな医者や弁護士になる訳では無いですからね。得意とすることに目を向けさせてあげるのがいいのではないかと思います。

その人の興味があることとか、大好きなことを見つけられるような何かサポートができればいいってことですかね。

はい、子供たちが自分で決めることをいつも応援してあげるようにしていました。そうすることが世の中にとって、それから子供たち自身にとって、家族全員にとって良いことだと思っていました。そういった支えを子供たちに与えるようにしていました。彼らには世の中を良くすることに貢献して欲しいです。

ありがとうございます。好きなこととか好奇心を持てるものって結構物心がついてからだと思うんですけれども、物心がつく前にですね、学校に行く前に、幼児の時代に、何か子育てでこうゆう風に接すればいいんじゃないかとか、こうゆう風に親はやってあげればいいんじゃないかといったものがあれば教えて頂きたいんですけれど、何かありますか?

そうですね、私は3年間で3人の子供を産んだので、頭が回らないくらい忙しい毎日だったことは皆さんも想像できるのではないでしょうか。毎日目指していた事と言えば、一晩だけでもいいからぐっすり寝る、ということでした。子供たちのオムツをちゃんと替えて、ご飯を食べさせて、寝かしつけて、健康で、生きる。とにかくそれだけでしたね。それが私の目標でした。自分のクライアントを持ちながら、一方で以前の夫の事業も手伝い、そうやって毎日を忙しく過ごす中で、傍では子供たちがうろちょろしては泣き喚いている、というような感じです。なので、子供たちに何か大きな期待を持っていたということはありませんでした。とにかく子供たちを生き抜かせる、それだけでしたね。