ダ・ヴィンチWeb:2022年10月29日掲載
人生の9割は「親との関係」で決まる!?
親のささいな言動が小さなトゲとなって子どもの心の奥に残り続ける/親子の法則
知らず知らずのうちに「自分の限界」を決めてしまうことはありませんか? 自己肯定感が低い、欠落感を抱えている、主体性を持てない…それはもしかしたら、親からの刷り込みによる「親ブロック」があなたを縛っているからかも?
三凛さとし著の『親子の法則 人生の悩みが消える「親捨て」のススメ』は、親との関係がうまくいかない人、親からの抑圧に苦しんできた人に、親に対する偏見を取り除き、親を客観視できるようになる「親捨て」ワークを提案します。親子関係を見直すことで本来の自分を取り戻し、自由に生きるためのヒントを与えてくれる1冊です。
親は子どもが出会う最初の「他者」であり、頼りにすべき「保護者」。親から受けた影響はずっと残り続けます。
※本作品は三凛さとし著の書籍『親子の法則 人生の悩みが消える「親捨て」のススメ』から一部抜粋・編集しました
人生の9割は「親との関係」で決まる……衝撃的な章タイトルですが、これはウソ偽りのない真実です。
というのも、親は子どもが出会う最初の「他者」であり、頼りにすべき「保護者」だからです。
親との生活で受けた影響は、人格を形成する時期を過ぎて大人になってからも、ずっと残り続けます。親の考え方や生活信条、価値観などさまざまな面で受ける影響の中には、プラスのものもあればマイナスのものもあります。
特にマイナスのものが心に深く刻印され、後々まで残りやすい傾向があります。
「はじめに」でご紹介したように、自分の親を「毒親」だと思っている人が多いのも、そのためでしょう。
人間の赤ちゃんは、母乳やミルクを飲むことと排泄すること以外、ほとんど何もできない状態で生まれてきます。
親の庇護がなければ生存できないような危うい状態で生まれてきて、多くの場合、18歳で高校を卒業する年齢くらいまでは身の回りの世話をしてもらったり、経済的に生活を支えてもらったりしています。
1年365日、毎日顔を合わせて生活をともにしていく中で、親の言動を見聞きし、深い関わりを持つ中で子どもは成長していきます。
子どもにとって親は最初に出会う「他者」であり、人としてのモデルでもあります。子どもが親に庇護されている以上、力関係においては圧倒的に親のほうが上になります。親に愛されないことは、子どもにとっては死活問題です。
3歳か4歳くらいまでは天真爛漫に自我を全面に押し出していた子どもも、知恵がつき社会性が育つにしたがって親に愛されようとし、親の顔色をうかがうようになっていきます。
私自身も、物心がついたときには、すでに父の顔色をうかがっていたように思います。
私が生まれ育った家は、父母と私、そして7歳年下の弟の4人家族です。父は大手新聞社勤務、母は専業主婦。弟とは歳が離れていたので、お互いにあまり話が合わず、そんなに普段から意思疎通ができているわけでもありませんでした。
小学校3年生から両親が離婚する中学1年生のときまで、父の仕事の関係でシンガポールに住んでいました。
昭和29年生まれの父は、典型的な「昭和の父親」でした。
子どもの心にも「この人には逆らえないな」と感じていたのでしょう。私は人見知りで、初対面の人となかなか打ち解けられない性格なのですが、これも父の顔色をうかがってばかりいた子ども時代の名残だと思っています。
教育熱心だった父は私に勉強を強いて、小学校から私立に通わせました。いい教育を受けさせてもらったという見方もできますが、親の意向で遊びたい盛りに伸び伸びと遊ぶことも出来ず、勉強ばかりさせられたという恨みがましい思いは、ずっと残っていました。
子どもにとって、親が発した言葉は絶大な影響力を持ちます。たとえ親に悪意がなくても、子どもは「自分を否定された」と感じることがしばしば起こります。
たとえば、「あなたはいつもやることが遅い」「何をやらせてもドジ」というたぐいの、親にとってはまったく他意のない言葉だったとしても、子どもは親の言葉をまともに受け取り、「自分はそんな人間なんだ」と思い込むようになっていきます。
きょうだいのいる人であれば、親がきょうだいばかり褒める(気がする)、というケースもよくあることです。
きょうだいは子どもにとって親の愛を奪い合うライバルなので、たとえ自分がけなされていなかったとしても、「親は自分よりもきょうだいのほうが好きなのかもしれない」「自分は愛されていないのではないか」と思いがちなのです。
そもそも親は、子どもを自分がこの世に生み出したという事実があるので、「子どもに対して遠慮なく、何を言ってもかまわない」と無意識のうちに思ってしまいがちなのでしょう。もっとも子どもの側にも甘えがあり、「親はなんでもゆるしてくれる」と思っているところもあるので、どっちもどっちだったりするのですが。
心理学では、幼少期の経験が「人生脚本」となり、大人になってからもその人の考え方や行動パターンに影響するといわれています。
私の知人である50代女性・美香子さん(以降、本書の登場人物はすべて仮名)は、母親に「あなたは私の子どもにしては出来が悪い」と言われて育ったそうです。
母親自身は子どものころに成績がよく、足もクラスで一番速かったといいます。戦後のどさくさの時期に思春期を送った母親の口癖は、「ちゃんとした時代だったら私はもっと勉強して、医師か弁護士になりたかった」というものでした。
成績がオール5だったという母親に対し、美香子さんはオール3。運動神経もよくなく、足が遅いこともコンプレックスでした。
もともと気弱で、自分をアピールしたり、意見をはっきり言ったりすることが苦手な美香子さんは、母親の言うとおり「自分はとりえがなくダメな人間なんだろう」と思うようになっていきました。
「よくできた自分」と「できない娘」を比べてなにかと娘をこき下ろし続け、優越感を誇示するのが好きだった母は、やがて妙な行動に出始めます。
美香子さんが高校受験を控え、夜遅くまで勉強していると、「何もそんなに頑張ることないのに」とお酒とスルメを持って美香子さんの部屋に入ってくるようになったのです。「無理していい高校に行くことなんかないわよ。ほどほどのところにしておきなさい」と口にするようになりました。
美香子さんは母親の言葉を真に受け、地域でもっともレベルの低い普通科の高校に進学。周囲の生徒が享楽的で、知的な刺激がないことに愕然とします。
「こんなところで終わるわけにはいかない」と大学受験のときに本気を出して勉強すると、半年間で偏差値が15上がり、第一志望の大学に合格できました。
そのとき初めて「自分は小学校のころに授業をまともに聞いていなかったから成績がよくなかっただけで、地頭はよかったんだ」と気づいたのだとか。
そして、「あなたはできない」と母親が言い続けたのは、平和な時代に生まれ育った美香子さんに対する嫉妬であり、「娘に自分を超されたくない」「自分のほうが上だと思い知らせたい」という気持ちによるものだったのでは、と思うようになりました。
グリム童話で、自分よりも美しくなる白雪姫がゆるせなかった継母のように、「母親は自分の可能性の芽を摘み続けたのではないか」と美香子さんは疑っています。
母親が亡くなってすでに10年以上が経っていますが、58歳になった美香子さんは今でも自分に自身が持てません。
母親に対する「私の子ども時代をコンプレックスだらけにした」という恨みをぬぐいきれないそうです。
この女性の例にあるように、「親に否定された」と感じる言葉は、小さなトゲとなって心に突き刺さったままになり、その後の人生に影響をもたらしていきます。
おそらく誰でも1つや2つ、大人になっても忘れられないような、親の言動にまつわる悲しい思い出を持っているのではないでしょうか。
とはいえ、大人になった今では、親の立場もある程度は理解できるようになっているので、「お父さんはあのとき、自分を鍛えようとして、わざと厳しく言ったんだ」とか、「お母さんは弟が生まれたばかりで大変なときだったから、私の話を聞いてくれなかったんだ」など、理由をつけて親をゆるそうとします。
もうすいぶん昔のことだし、とっくに自分の気持ちに折り合いはつけていると思い込んでいるのです。
しかし実際のところ、感情というのはそれほど聞き分けのいいものではありません。ささいな言葉だったとしても、その言葉に「傷ついた」とか「ああ言われて悲しかった」という感情は、そのまま心の奥にずっと残り続けます。
大人として理性的に判断し、ゆるしたつもりになったほうが気持ち的に軽くなる気がするのでそうしているだけで、本心では納得できていないからです。
これが「癒されない感情」の厄介なところです。
<第3回に続く>
※Yahoo!ニュース、マイナビ子育て等、多数のニュースサイトに掲載されました。