THE GOLD ONLINEに「毒親についての調査」が掲載:2024年6月20日

「もうムリ、ごめんね」50代独身ひとりっ子、年金15万円・80代の同居母を残し、生まれて初めて実家を離れた切実理由


高齢の親がいれば、だれもが心配する介護の問題。親と長く同居する子どもがいたら、いずれは親の介護の責任を背負うことに…。しかし、老親との関係に割り切れない思いがあったら? 実情を見ていく。



母に支配され、自分の人生を生きられなかったひとりっ子

高齢化が進展する日本では、介護問題は他人ごとではない。一方で、戦後のような「子だくさん」の家庭は激減しており、介護を担う家族は限られている。

 

――母から逃れようと思いました。

 

そう語るのは、50代会社員の女性、佐藤さん(仮名)。佐藤さんは独身で結婚歴もなく、15年前に父親が亡くなってからはずっと、今年80歳になる母親と、都内の実家で2人暮らしだった。

 

佐藤さんは短大を卒業したあと、一般企業に就職。「結婚するまで家を出るのは許さない」という母親の方針のもと、同居を強いられていた。

 

「両親から愛されたという実感はありません」

 

母親はとにかく世間体を気にする人で、佐藤さんの生活すべてを「世間はどう思うか」という視点から、がんじがらめに縛りつけた。父親は多忙で家庭には無関心。

 

「ほめられた記憶はなく、いつも批判されてばかり。両親から離れたくて、遠方の大学への進学を希望しましたが、〈女の子は短大で十分〉〈家から出すなんて危ないことは許せない〉と一点張りで、味方になってくれた高校の先生でも、説得できませんでした」

 

女性は母親の言いつけに従い、短大に進学。その後は、当時の多くの女性と同様、一般職として企業に入社した。

 

「友人との外食もすべて母親の許可が必要で、門限の9時を過ぎることは許されませんでした。泊りがけは許さないといって、旅行もNGでした」

 

そんななか、会社の同僚も、短大時代の同級生たちも、次々と相手を見つけて結婚していく。すると母親は、ずっとひとりでいる佐藤さんに〈もうじき30になるのに、一体何をやっているのか。結婚相手も見つけられない、恥ずかしい〉と、怒りをぶつけ始めた。

 

「母親の言いつけを守って生きていたら、これですよ…」

 

30代まではさまざまな葛藤があったというが、母親に抗しきれず、あきらめの境地に。そのまま50歳になるまで親子で暮らす道を歩んでしまった。


「母親は体が弱いのです。私が反抗するとすぐにベッドに倒れこみ、数日間は寝込むのです。〈仮病でしょ?〉なんていったら、もう大変。結局、こっちが折れるしか…」




人生をあきらめつつ、母の面倒を見るつもりだったが…

子どもを自分の支配下に置き、思い通りにしようとする親は少なくないようだ。当然子ども反発するが、親に抗いきれないと、佐藤さんのように押しつぶされたまま、年齢を重ねることになる。そのような関係では、円満なコミュニケーションなど望むべくもないだろう。

 

合同会社serendipityが20歳以上60歳未満の男女に対して行った『親子関係についての調査』によると、「親と円滑なコミュニケーションが取れているか」の問いに対して、男性が14.7%、女性が22.1%は「いいえ」と回答。また「親が毒親だったと感じることはあるか」の問いに対しては、男性25.5%、女性33.1%が「よくある」、男性36.3%、女性32.8%「たまにある」が回答。

 

※ 毒と比喩されるような悪影響を子どもに及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念(ウィキペディアより)

 

これを見る限り、自分の親が「毒親だった」と感じている人は6割にもなる。

 

「父が亡くなってから、ますます母親は私にきつく当たるようになりました…」

 

佐藤さんの母親は専業主婦で、亡き父親は不在がちだったが、サラリーマンを真面目に勤め上げた人。そのため、母親は月額15万円程度の年金を受け取っており、ほかにも父の預貯金が2,000万円程度、そして佐藤さんが小学生時代からずっと暮らしている、築古の実家もある。

 

「父親の相続のときには、私は書類への捺印を求められただけでした。このとき初めて実印を触りましたが、その後は母が持ち去り、どこにしまってあるかもわかりません」



母親から放たれた、決定的なひと言

「これまで母親の意見に折れてきましたが、先日の〈母の言葉〉がきっかけになり、母への気持ちがなくなってしまいました」

 

母親に従順だった佐藤さんは、なんと50代になってから、実家を出る覚悟を決めたという。

 

「私はひとりっ子で、母親とはきわめて距離が近い関係。それに、母親は一度も働いたことがなく、20歳のときから父に養われてきた人。心のどこかで〈母親を助けなければ〉という気持ちがあったんですよね…」

 

ある日、例によって母親に小言を言われていた佐藤さんだが、決定的な出来事があった。

 

「母親から〈お母さんは、あなたの犠牲になった〉と言われたのです。一体どの口が言うのかと。人の心って不思議ですね。その言葉を聞いて私、何もかも本ッ当に、どうでもよくなってしまたんです…」

 

佐藤さんは数日のうちに、会社の沿線のワンルームマンションを契約。最低限の荷物をボストンバッグに入れて家を出た。

 

「母はまだ頭もしっかりしているし、家事全般も大丈夫。でも、これから介護が始まったら、もう逃げられないじゃないですか。家族は私だけですから、最後まで面倒を見るつもりだったけれど、もう母のことはいいです。本当に、もう知らない」

 

厚生労働省『令和4年国民生活基礎調査』によると、「要介護者」からみて「主な介護者」で最多は「配偶者」で22.9%。続いて「子」が16.2%。「事業者」は15.7%で6~7人に1人という割合となっている。

 

「お金もあるし、いざとなれば他人を頼ればいいでしょう?」

 

佐藤さんは、まだ母親が寝床にいる日曜日の早朝、「お母さん、もうムリ。ごめんね」というと、静かに玄関ドアを閉めた。

 

「自宅のカギは、ポストに返しました」

 

佐藤さんの人生は、50代にして大きな転機を迎えたようだ。

 



[参考資料]

合同会社serendipity『親子関係についての調査』

厚生労働省『令和4年国民生活基礎調査』

TV For JAPAN -日本を経営せよ!に出演:2024年6月14日

For JAPAN #10「健康とは経営である」】


ABEMA TV For JAPAN -日本を経営せよ!-に弊社代表三凛さとしが出演いたしました!

今週のテーマは「社会的健康を経営せよ」

「日本は否定!否定!!否定!!!」「指定難病患者が選んだ終身雇用」「後ろ姿で健康診断」「猿の威嚇じゃあるまいし」

経営者たちが日本の教育に対して徹底議論!




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先端教育オンライン:2024年6月11日掲載

自分の価値に疑いを持つ10代が約7割 民間調査


合同会社serendipityは6月11日、日本人の自己肯定感に関する調査の結果を発表した。調査は5月、15歳以上70歳未満の全国の男女1,000人(10代男女各50人、20~60代男女各90人)を対象に年齢別に実施。

「世界価値観調査」(World Values Survey)において「自分自身に満足しているか」との質問に肯定的に回答した人が、アメリカの約70%、中国の約50%に対して約30%にとどまった日本の、自己肯定感の現状について調べた。

「将来叶えたい目標や夢はあるか?」と尋ねたところ、10代の約7割(69.0%)が「とてもある」「ややある」と回答した。一方、20代以上は4割前後(20代:40.5%、30代:41.7%、40代:41.6%、50代:43.3%、60代:35.6%)と減少する傾向にあった。

「自分の将来にどのくらい期待しているか?」尋ねたところ、「とても期待している」は最多の10代でも2割弱(16.0%)。20代と40代以上では1割にも満たなかった(20代:8.9%、30代:10.6%、40代:8.9%、50代:3.9%、60代:5.0%)。

「自分は価値のある人間だと思うか?」と尋ねたところ、「とても思う」はどの年代でも1割前後にとどまった(画像参照)。逆に「どちらとも言えない」「あまり思わない」「まったく思わない」と、自分の価値に疑問を持つ人が、10代ですでに7割弱(66.0%)、20代と30代では7割以上(20代:70.5%、30代:71.7%)に上ることが判明した。

調査結果の詳細は以下から見ることができる。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000024.000091676.html

TV For JAPAN -日本を経営せよ!に出演:2024年6月7日

For JAPAN #9「健康とは経営である」】


ABEMA TV For JAPAN -日本を経営せよ!-に弊社代表三凛さとしが出演いたしました!

今週のテーマは「心の健康を経営せよ!」

「不適切にも程がある」「親子関係間違っていませんか? 」「ストレスを悪者にするな」

経営者たちが日本の教育に対して徹底議論!




視聴はこちらから >>

弊社がスポンサーを務める人工衛星「ISHIKI」の打上げ結果についての記事がForbes JAPANに掲載されました。:2024年12月14日掲載

広尾学園高校が人工衛星製作、その悲喜「極寒の LED試験」


 

自ら設定したミッションの下、人工衛星を作りあげた広尾学園高等学校の生徒たち。(左から)前田昊生、澤村太智、新垣蓮、矢尾海心、藤村ひな乃、青木莉緒(モニターに映る平松彪悟、木本晃一の2名は米国からZoomでリモート参加)、中央はラグラポCEO高野宗之。Forbes JAPAN編集部にて

12月18日11時、日本初の民間小型ロケット射場「スペースポート紀伊」からカイロスロケット2号機が発射されたが、ミッション4/ステップ3まで到達することができたものの、約3分7秒後に飛行中断が行われた。

このロケットにはなんと、「高校生たちが企画、製作した」人工衛星「ISHIKI」が搭載されていた。

この試みには「LAGRAPO」が深く関わっている。同社は、三菱重工でのH-IIAロケット設計、JAXAでの⽇本初の宇宙船「国際宇宙ステーション補給機「こうのとり」(HTV)」の開発を⾏った経験を持つ代表の高野宗之氏を中心に、宇宙開発の管理手法をベースとした企業向け経営コンサルティングのほか、広く宇宙事業の普及に向けた活動を行う。同社は宇宙事業を多くの一般企業に普及させるためのコンテンツとして、同時に実際の宇宙開発を多くの次世代の子ども達に経験してもらう教育に資する新たな取り組みとして、「LAGRAPO人工衛星プロジェクト」を開始した。

そして同社が仕掛ける「LAGRAPO人工衛星プロジェクト」の第一弾が、ほかでもなく、都内・広尾学園の高校生が製作した人工衛星「ISHIKI」の打ち上げだ。

このプロジェクトは、教育キットで衛星製作の一部を生徒たちが担うような、よくある教育事業ではない。大人は相談役に徹し、ミッションの企画・製作・試験から打ち上げまで、企業が行う宇宙事業と同じスペックを生徒たちだけで考え進めていくデザインだ。

さらにこのプロジェクトには、LAGRAPOの他、宇宙開発技術や工場を持つオービタルエンジニアリングなど、実際の宇宙開発同様に多くの大人たちが脇を固める。serendipity代表三凛さとし氏も宇宙、教育分野の発展のために支援を申し出た。

人工衛星でどのようなミッションを果たすのか。生徒たちが自ら考えたのは、人工衛星に取り付けたLEDライトを地上から観測することと宇宙における構造物の展開、メッセージの送信だ。

失敗を乗り越えながらプロジェクトを進めてきたこの1年を振り返ってもらった。

広尾学園の高校生が製作した人工衛星「ISHIKI」

 

【人工衛星「ISHIKI」プロジェクトメンバー(広尾学園高等学校)】

矢尾 海心
(高3、インターナショナルコース)
新垣 蓮(高3、インターナショナルコース)
澤村 太智(高3、インターナショナルコース)
青木 莉緒(高2、医進・サイエンスコース)
藤村 ひな乃(高2、医進・サイエンスコース)
前田 昊生(高2、インターナショナルコース)
平松 彪悟(卒業生、UCLA、米国からZoom画面で参加)
木本 晃一(卒業生、スタンフォード大学、同)
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髙野宗之(ラグラポCEO)

全てはここから始まった! プロジェクト発端秘話

平松彪悟:僕と晃一(木本晃一)が「株式会社うちゅう」で学生インターンをしていたことが全ての始まりです。

「うちゅう」では、モデルロケットのリカバリーワーディング(※モデルロケットを打ち上げる際にエンジンの上にセットする不燃紙で、パラシュートがエンジンの熱で溶けないようにするためのもの)の日本製製品を作るプロジェクトに参加して開発を手伝っていました。

ある日、LAGRAPOにも参画している「うちゅう」取締役の八島京平さんから、「うちゅう」の学生用Slackのグループチャットで「一緒に衛星をつくりたい人はいませんか?」という問いかけがあったんです。

最初は、本当にそんなことができるのかなという不安がありましたが、こういう貴重なプロジェクトに参加するのはすごく意味のあることだと思って、晃一と一緒に「ぜひやりたいです!」と返事をしたんです。

木本晃一氏(画面下左)、平松彪悟氏は米国からそれぞれZoom参加してくれた

木本晃一:それで僕と彪悟は参加が確定して、他の広尾学園のプロジェクトメンバーは、広尾学園の植松教頭先生など、先生方に選んでもらいました。

平松彪悟:メンバーを選んでもらうために、晃一と一緒にプロジェクトの資料を作って植松先生にピッチするためのプレゼンをしたよね。それもいい思い出です。

ここから打ち上がる! 射場見学

矢尾海心:我々の衛星「ISHIKI」の打ち上げが行われる和歌山県串本町の発射場「スペースポート紀伊」の見学に行きました。実際に見て、ここから打ちあがるんだという実感もあったと思うんですけど、どうでしょう?

澤村太智:僕はスペースワンという会社を知らなかったんですけど、新しい民間企業がコンパクトなシステムで新型の中小型ロケットを打ち上げるというのはすごく画期的だなと感心して。技術的なところにすごく興味を持ちました。

藤村ひな乃:ロケットってあまり知らなかったんですけど、実際に行ってみたら、大きな敷地にポツンと指令室があって。その指令室がカッコよくて感動しました。

高野宗之(ラグラボCEO): 僕がすごく印象的だったのは、打ち上げ場への移動の車の中で、全員が英語で会話していたこと。

あれ?おかしいな、日本の高校生を乗せているはずなのになって。広尾学園の生徒のレベルの高さをすごく感じました。

 

20キロ先の光を探せ! 極寒のLED試験

矢尾海心:衛星に光通信がついていて、軌道上でLEDを光らせて地上から観測するというミッションがあるんです。

それで、LEDの数や配置の仕方を決めるテストをしました。大気中で20キロくらい先の光が見えれば、宇宙からでも見えるだろうという考え方で、20キロ先のLEDの試験球をカメラの望遠レンズを使って拾うという試験を、忘れたいぐらい何回もやったよね。

 

前田昊生:最初は彪悟と晃一と俺の3人で長者ヶ崎に行って。

矢尾海心:それから場所を選んで、3人(前田・藤村・青木)は何をしたんだっけ?

青木莉緒:20キロ離れた方に向かってひたすら角度を変えながら、電話で「見えますか?」「あ、見えます!」って確認しながら(笑)。やっているうちに日が暮れて、海だから真っ暗ですごく寒かった。

矢尾海心:僕と太智は、江ノ島のカメラ側にいたんですけど、こっち側からは、海に光が反射して二重に見えて。だから長者ヶ崎はあんまりよくなかったよね。

澤村太智:カメラを構えてカップラーメンを食いながら…。

矢尾海心:僕がガスバーナーをもって行って、お湯を沸かしてカップラーメンを作って。

澤村太智:半分キャンプみたいな感じ。

矢尾海心:それでなんとか見えたので、もう少し遠い海から離れたところでやりたいねということで、木本と平松に城ヶ島に行ってもらって。

木本晃一:城ヶ島は本当に大変でした。最初は江ノ島からLEDが見える角度を探すために夜城ヶ島に行ったんです。海の岩の上に立ってLEDを放ったけど、全く見えなくて。

次は内陸の高台の方に行ったんです。藪の中を歩き回ってやっと江ノ島が見えるところを見つけて。無理やりスイッチのボタンをオンにしたりオフにしたりしながら、「見えた?」「見えない?」と電話で確認しながらやったんです。

 

LEDの角度調節に四苦八苦!

矢尾海心:僕がLEDの試験機をデザインしたんです。衛星の一部を模した感じのモジュールにLEDをつけてテストしていたんですけど、それが持ちづらいという苦情が来たので、三脚に取り付けられるようにしたんです。その後も蓮と一緒に行ったよね?

新垣蓮:行ったね。3月の夜の海は死ぬほど寒かった。

矢尾海心:海風がヤバくて。カップラーメンとコーヒーと紅茶を入れまくって寒さをしのいだよね。

蓮と行った後、広尾学園のスミス先生にも来ていただいて。先生の望遠鏡に一眼レフをつけて観測したし、うちゅうの矢島さんにも来てもらった。

一度僕がカメラの雲台を忘れてしまって、三脚の上に直接望遠レンズを置いて、八島さんに手で固定してもらって写真を撮るという、めちゃくちゃ危ないことをしたことがありました。

衛星の動きが線状に写るように長時間露光で撮影しようということになって。車の上にLEDを付けて走らせて撮影する実験もしましたが、その試験機を作るのも大変でした。

新垣蓮:2日かけてLEDを点滅させるコードを書いてマイクロコンピュータとLEDの配線を繋いだよね。学校で始めて、僕の家に持って帰って、最後は僕が海心の家に泊りに行って作業して、やっと仕上がったという感じだった。

矢尾海心:結局寝ずにやって、そのまま僕は試験をしに山梨に。

新垣蓮:で、僕は学校に (笑)。

矢尾海心:スミス先生に20キロ先に行ってもらって、ピカピカ光っている写真を望遠鏡で撮ってもらって。それでうまくいって、実証試験は全部終了しました。

高野CEO:LEDの角度調節も大変だったよね。

矢尾海心:衛星は立方体で、側面と下の面にLEDがついているんです。

当然ですが、地球の方向にLEDが向いている時だけ見えるんですけど、衛星は回転しているので必ずしも地球の方向を向いているわけではないんです。

だから、地球に対してどの角度でLEDをつければ見えるのかテストが必要でした。

高野CEO:まだわかっていない時、全面にLEDをぎっしりつけていたよね。

矢尾海心:そうなんです。4面全部つけるのか、六角形の円柱みたいにするのかとか、いろいろテストをして。めちゃくちゃ大変だった。

一番少なくてすむ条件を探したら、結局2面ついていれば見えるという結論になりました。
まあ、いろいろトラブルもあったけれど、最終的には満足のいく試験ができました。

 

軌道をゲームエンジンで再現

澤村太智:LEDを光らせて観測するにしても、東京周辺の上空をいつ通るかわかりません。
そこで、3D計算上で、地球があって衛星がどこを飛ぶか、おおよその軌道をゲームエンジンで再現したんです。

矢尾海心:言語は何だっけ?

澤村太智:「Unity(ユニティ)」というゲームエンジンで、言語はC♯(シーシャープ)です。

高野CEO:太智が作ってくれたやつはすごかったよね。見てびっくりした。地球がくるくる回って、そこに人工衛星の軌道があって。

あれで今回のLED試験で点滅をどうやるかコントロールできる。あれは最終的にホームページとかで公開してみんなに見てもらうことになると思う。いろんな人がこれからはあれを見て、やってみるんじゃないかな。


※LAGRAPOと広尾学園の高校生が製作した人工衛星「ISHIKI」は、2024年12月14日、スペースワンの「カイロスロケット2号機」で宇宙へ打ち上げられる。

※完成した人工衛星「ISHIKI」には、生徒からの2つの言葉が載せられている。

「Dare Mighty Things.」(あえて壮大なことを)

「Let’s make it to space this time.」(今度こそ宇宙へ)

広尾学園高校の人工衛星製作。OBはスタンフォード大学へ に続く)

現代ビジネスの記事がYahooニュース他にも転載されました。:2024年12月27日掲載

生みの親に捨てられ、近所の男性から性虐待…心に傷を負った人気ナレーターが子を持って立ち向かった「虐待連鎖」


 

両親から受けた虐待は深い心の傷となり、“虐待の世代間連鎖”が起きることも少なくない。合同会社serendipityが2023年に子持ちの20~50歳未満の男女4000人(男女各2000人)を対象に調べた「自身の虐待経験と親子連鎖」に関するアンケートでは、虐待を受けていない男女の約6割が「両親ともに未成年期に虐待を受けていない」と回答。

対して、自身または兄弟姉妹が虐待を受けていた男女で「両親ともに未成年期に虐待を受けていない」と回答した人は約1割と少なかった。

だが、そうした現状がある一方、我が子と関わる中で心の傷が癒え、虐待の連鎖を食い止める人もいる。ナレーターや声優、著者として活躍する中村郁さん(@0nqnn3J5BL3RbTj)も、そのひとりだ。

 

生後、すぐに祖父母と暮らすことに

複雑性PTSDとは虐待やDVなど、長期的なトラウマ体験を機に発症すると言われている精神疾患だ。中村さんの複雑性PTSDには、両親の育児放棄も大きく関係している。

出産後に黄疸などの症状が見られた中村さんは、大きな病院へ入院した。大病が原因なのかわからないが、両親はすでに育てる意思を失っており、退院後は祖父母のもとへ引き取られた。

祖父母は中村さんをかわいがり、「親の愛も受けてほしい」との思いから生後半年の頃、両親のもとへ中村さんを戻す。だが、中村さんは泣きやまず、何も口にしなかった。その姿を見た両親は育てられないと判断。中村さんは、祖父母のもとで育つこととなる。

だが、物心つくと親の愛を求める気持ちが募った。中村さんには兄と姉がいる。2人は両親と暮らしており、夏休みには祖父母宅へ遊びに来た。

なぜ私は一緒に暮らせないのか…。きょうだいの生活が羨ましく感じられ、小学校入学前、中村さんは「親と暮らしたい」と祖父母に打ち明けた。

近所の男性から受けた性加害

祖父母を通じて、両親にその意思を伝えてもらったが、返ってきたのは「受け入れられない」。ショックは大きく、深い悲しみから1週間、部屋から出られなかったという。

「祖父母には大切に育ってもらったので感謝しています。でも、いい子でいないと捨てられるかもしれないという気持ちは消えなかった。子どもの私には、何をしても許されたと思える場所がありませんでした」(中村さん)

傷ついた幼心は、近所に住む男性からの性被害でさらに深い傷を負うことになる。6歳の頃、公園で犬を連れた年配の男性とすれ違う。犬を触らせてもらった中村さんに男性は「来週も会おうね」声をかけた。

「祖母に話すと『本当にその人、大丈夫?』と心配されましたが、優しいおじさんだったし、犬を触りたかったので大丈夫と答えました」

しかし翌週会うと、その男性は中村さんが履いていたスカートの中に手を入れてきた。気持ち悪い。そう思ったが、何をされているのかは分からなかった。そうした行為を繰り返された後、男性から「もっと広いところへ行こう」と言われ、自転車に乗せられた。

着いたのは、田んぼ。膝に乗せられ、「盲腸の場所を知ってる?」と聞かれた。「分からない」と答えると寝転ばされ、下着を脱がされ、陰部を触られた。その行為で自分が何をされてきたのか気づいた中村さんは自宅へ逃げ帰った。男性は「また来週ね」と呟いたことが頭から離れない。

「家を知られていたので、翌週は祖母に頼んで自宅から遠い場所へ遊びに連れて行ってもらいました。心配をしてもらったのに気をつけられなかった自分が悪いと思い、性被害を受けたことは言えませんでした」

その後、男性とは近所のスーパーで偶然会うこともあった。目が合うと笑いかけられ、恐怖が全身を包んだ。できることならーー。でも、そうなってもあの人は幽霊になって家に来るかもしれない。深いトラウマを抱えた中村さんは悪夢にうなされ、電車など公共の場で男性の隣に座ることができなくなった。

「あんたなんか産みたくなかった」

性被害によって、性行為に対する考え方も歪になった。20代の頃は、性行為に対する両極端な思考に苦しんだ。男性恐怖症のような症状が現れ、性行為に対して潔癖な考えを抱く一方、ひとたび肉体関係を持つと性依存に陥った。

「私は大事にされる人間じゃない」「体を差し出さないと愛してもらえない」との思いから依存的な恋愛を繰り返した。恋人に「父親」を求めていたのだろう。

恋人に「親の愛」を求めてしまうのは、愛着障害の症状のひとつでもある。愛着障害とは乳幼児期に養育者との関係が複雑な場合に起きうる精神疾患のことで、複雑性PTSDに苦しむ人は、愛着障害も併発していることが少なくないと言われている。

「私はずっと親の愛情を求め続け、同時に自分は価値がない人間だという想いが付きまとっていました」

過去の傷と虚しさに苛まれながら過ごしていた20代には、母親からの“突然の接近”に傷つきもした。「これまでのことをなかったことにしてほしいから謝りたい」と言われて再会したのだ。

中村さんは、一度は母の謝罪を受け入れたが、捨てられた理由が分からず、納得できなかった。そこで理由を尋ねたところ、母親は豹変して怒り狂った。

あんたなんか産みたくなかった――。

「父親もいまだに理由を教えてくれません。自分のために母との接触はやめましたが、私の命は望まれていなかったのかと思うと辛くてたまらず、自死を考えるようになりました」

これまで心に刻まれたトラウマを思い出さないよう、考えないようにしていても“悪夢”という形で現れ、フラッシュバックを起こした。手足が震え、パニック障害のような状態になったことから精神科を受診し、複雑性PTSDであると診断された。

 

子供ができて、考えるようになったこと

病名が判明すると、症状に応じた薬が処方される。結果、精神安定剤を服用し、不眠は解消した。だが今度は薬に依存してしまう。長年染み付いた「自分には価値がない」という思考は、薬では解決しようがなかった。

それでも、全国ネットのナレーターとして活躍したりキャラクターの声優を務めたりするなど精力的な日々を送った結果、今を生きることの糧を少しづつ見出していく。そして2016年には同業であるナレーターの夫と結婚し、2人の娘を授かる。

我が子の誕生は、大きな転機となった。愛する子どもたちは、心を照らしてくれたからだ。自分の手で作った家族と過ごし、子育てを通して我が子を愛でる中で複雑性PTSDの症状は良い方向に向かうようになった。

 

「悪夢を見たり、冷や汗が出たりするなどのフラッシュバック症状が軽減しました。子どもたちと過ごす中で心の傷が癒えていったんです」

子育てをする中で知ったのは、子どもは何にも代えがたいほど愛しい存在だということ。そんな存在を手放さなければならなかった両親には、よほど深い事情があったのだろう。そう思えるようになったことで、親を憎む気持ちも少しずつ消えていっている。

依存していた精神安定剤も現在は毎日、少量の服用に。フラッシュバックは医師に組み合わせてもらった2種類の漢方薬を飲み、対処している。

なお、薬で改善していた不眠症状との向き合い方にも変化が起きた。縁あって迎えた愛犬と散歩をするために早起きし始めたことで、症状が自然に改善されていったのだ。

「不眠が改善されると、精神も安定していきました。愛犬がそばにいたり、一緒に寝てくれたりしたことも不眠症状の改善に繋がったと感じています」

 

子どもが性被害を打ち明けやすい社会を

「自分が親からされて辛かったことや言われて傷ついたことは絶対にしないと心に誓い、子育てをしています」

そう話す中村さんは自身の経験を踏まえ、我が子が性被害などに遭わないよう、自分の身を守る術を教えてもいる。

「知っているのと知らないのとでは、警戒心が変わる。私がそばにいない時でも自分を守る方法を覚えてほしいと思っています」

また、自身が性被害を誰にも打ち明けることができなかったことも複雑性PTSDの発症に繋がったと思っているからこそ、性被害に遭った子どもが安心して話せ、頼れる場所が社会に設けられることを願っている。

「私は悲しませたくない、心配をかけたくないとの思いから育ててくれた祖母にも性被害を言えず、大人になるまで胸のうちに留めていました。まだ子どもなのに大人からそんな目で見られ、変なことをされたのが恥ずかしいという気持ちが大きかったのも言い出せなかった理由です」

あの時、受け止めてくれる大人や場所があれば、ここまで心の傷を引きずることはなかったかもしれない。そう感じるがゆえに、中村さんは幼い心が守られるよう、頼れる場所の情報が性被害に遭った子どもに届きやすい社会になることも望む。

 

「自分であることに誇りを持って生きていきたい」

少しずつでいいから、自分が自分であることに誇りを持って生きていきたい――。価値がないと思い込み生きてきた中村さんは心休まる家族を作れたことで、そんな目標を掲げられるようになった。

「心の傷を癒すことは難しいし、価値がないと思ってしまうのはとても辛いこと。でも痛みを知っている人間は、痛みを知らない人間よりも優しくなれると信じています。私も頑張るから、一緒に一歩ずつ前へ歩いていきましょう」

似た苦しみを抱える複雑性PTSD当事者に、そうエールを送る中村さん。彼女の回復は生まれ落ちた家庭に絶望しながらも、“家族”としての繋がりを求めなくてはいられない人の心に刺さることだろう。


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FRIDAYデジタルの記事がYahooニュース他にも転載されました。:2024年11月15日掲載

「お金持ちや成功者が嫌い」…あなたが金持ちになれない理由は「お金のメンタルブロック」のせい


 

資産を「増やしている人」と、「増やせていない人」との違いとは?

 

◆世界で唯一「お金持ちになれない」思想を持つ日本人

お金のメンタルブロックを外したことで、お金や稼ぐことへのイメージが変わり、事業も順調に拡大しはじめた三凛氏。

「それまでは、『お金は生きるために必要なもの』ぐらいの認識でしたが、お金は稼げば稼ぐほど、徳を積んでいるのと同じことだと考えられるようになり、『お金は大人の通信簿』という捉え方に変わりました。

お金を稼ぐことは、世の中にいいことをして『ありがとう』と言われることです。しかも、お金を稼ぎ続けることで、雇用を生みます。雇用を生むということは、自分以外の人たちの生活を支えるということです。そう考えると、お金を稼ぐことはすごく尊いことだと思えてきませんか?」

三凛氏のコーチング受講生においても、お金のメンタルブロックを外し、稼ぐことの意義に気づいた人から、お金の不安がなくなり、人生の可能性が広がっていくのだという。

「そもそも、メンタルブロックがかかった状態で自分の人生の可能性を思い描いているので、本来のポテンシャルからすると、とても小さな夢だったりします。

メンタルブロックを外すことで、目標に向けて前向きに取り組めるようになり、自信もついてくるので、自然と人生の可能性が広がり、夢も大きくなっていくのです」

お金のメンタルブロック外しはメリットしかないように思えるが、ひとつだけ無視できないデメリットもある。それは、人間関係の変化だ。

「お金のメンタルブロックを外すと、まわりの人たちと話が合わなくなります。今の日本には、お金や稼ぐことに悪いイメージを持つ人のほうが多いので、こればかりは仕方がありません」

お金のメンタルブロックが外れた人は、収入を2倍3倍にしようと行動するのだが、今の日本人のほとんどは、毎月の給料の中でやりくりしようと考え、「収入を増やそう」という発想はしないのだと三凛氏。

しかし、まわりと話が合わなくなり、友人が減ることを覚悟してでも、お金のメンタルブロック外しをしてほしいと話す。

 


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資産形成ゴールドオンライン他、調査が掲載:2024年6月1日掲載

50代ひとり娘「もう私を頼らないで」と言い残し、実家をあとに…年金15万円・要介護の80代母、涙ながらに語った後悔



母と折り合いが悪い「ひとり娘」…母の介護は義務?

母との関わりを絶ちたいひとり娘だったが…

 


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Girls Channnel

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2024年5月30日:合同会社serendipity(セレンディピティ)は、日本代表MF久保建英選手が所属するスペインのプロサッカーチーム「レアル・ソシエダ ジャパンツアー2024」とスポンサー契約を締結したことをお知らせいたします。

合同会社serendipity、「レアル・ソシエダ ジャパンツアー2024」とスポンサー契約を締結


合同会社serendipity、「レアル・ソシエダ ジャパンツアー2024」とスポンサー契約を締結

 

スポンサー締結の背景

 私たちが「レアル・ソシエダ ジャパンツアー2024」のスポンサーになった理由は、ワールドクラスの試合観戦を全国の親子にプレゼントしたいという思いからです。

 私自身、幼少期に親にJリーグやワールドカップの試合に連れて行ってもらった経験があり、その楽しい思い出は今でも心に残っています。その経験が、私にとって非常に大切なものであったため、今回のスポンサーシップを通じて全国のご家族に提供したいと考えました。

 今回のスポンサーシップにより、合計1,000枚のチケットを全国の355家族に配布することができました。この取り組みが、多くの親子にとって素晴らしい思い出となり、サッカーの魅力を感じてもらえる機会となれば幸いです。

 

当選者の声(一部)

・この度は、サッカーの試合のご招待ありがとうございます。代表戦のチケットがなかなか取れず、最近観に行く事ができないなと思っておりました。ですから、本当に嬉しくて凄すぎてほんとにありがとうございます。そして、スポンサー枠というVIPな枠で観に行くことができ、更に一度言ってみたかった、夢のセリフ、「チケットが運良く手に入って。よければ一緒に行かない?」という誘い文句を、今日初めて言いました。人生でこれを言う日が来るなんて。大袈裟かもしれませんが、たまたまチケットが手に入ると言うことがこれまでなかったので、もうそれだけで嬉しいです。私の人生変わってきてる!と思えました。

・この度は、レアル・ソシエダ VS 東京ヴェルディのチケットを本当に本当にありがとうございます!家族みんなサッカー好きなのでこんな素晴らしいチャンスをいただきとても感謝しています!とても、楽しみにしています!本当に本当にありがとうございます!!

・いつも親の介護をサポートしてくれる弟と、同じく親の介護と仕事を両立させて頑張っている弟の友人に声をかけ、時間が取れたそうなので2人分チケットをお願いし、お返事いただけました。本当に有難うございます!!あんなに喜ぶ姿を久しぶりに見ました。私も三凜さんのように沢山の人に喜んでいただけることをしたいです。苦手なことも好きになって頑張ります。